暇と退屈の倫理学

日常

おもしろかった!!この投稿を見て同じ本読んだ方がいたらとても嬉しいです。

人間は、これほどまでに豊かになって川に洗濯とか土間で火を炊くとかしなくてよくなって、家事仕事も便利になったのに人間の幸福度は低いのはなぜ〜

人間は部屋でじっとしてられない

なんとなく退屈だという声からなるべく遠ざかろうと夢中になれることをさがしてきた。

だけど、夢中なことはテレビやカタログから選ばなければならないこともあるくらい自分ではわからない

資格取得、何から選ぼう、これが将来使えそうだ。とか。

過去の哲学者の書や発言をもとに暇と退屈と人間はどう向き合っていけばいいか、考察してその見方ちょっと違わんか?と追求しながら眺めていく

そのなかで結論もしっかりわかりやすく説明してくれて好きなこととか自分のしたいこととか純度高い私の方向に少しずつ身を投じていけばいいのかな?それなら引き続きわたしは趣味に没頭する時間持ってていいのかー。

結論:ひとは夢中になるほどのものを待ち侘びる
自分の興味がある という声に耳をそばだてて 気の向くままにそこに行ってみる退屈だという声から自由になる。

習慣をすこしずつ自分の内面にの声聞きつつかえていくことでじゅんどがあがって核に触れた好きにぶちあたる
目の前の生活を楽しむ精度を上げる

そもそも哲学という普通の人ならなんでそんなよくわからない普段通り過ぎていくようなことをいちいち立ち止まって考察して考えて・・っていう、そういうことを真剣にしてる人がいるということがなんとなくすごく心強いと思った。

えーっとなにがいいたいんだっけ?(笑)
そう、私の好きなことにこの本の作者がしていること自体が直結している。
真剣に自分自身の心を捉えるものと向き合って専門的に得た知識で追求して形にする。

これこそ退屈から逃れる本質。
こういう夢中になれることが自分の中で見つかるっていうのは、自分はどう感じたかと常に向き合ってないと辿り着けない領域

とにかく少しずつ少しずつ自分の声に耳を傾ける習慣をつけて行きたいのです!(笑)

いままでなら、通り過ぎてしまうようなことを立ち止まって考えたいのです!!そのための退屈を感じること。

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